コラム「やななの引退」
岐阜県岐阜市には柳ヶ瀬という商店街があります。1966年(いや昭和41年と書く方が時代背景がピンとくる)、美川憲一が歌った「柳ヶ瀬ブルース」という曲で全国的に名前が知られるようになった、当時の繁華街です。
人の森がある愛知県北西部から、柳ヶ瀬のある岐阜県美濃地方は、その頃、毛織物・アパレル産業が非常に繁栄していて、柳ヶ瀬商店街も昼夜を問わず、大勢のお客さんで賑わっていました。何しろ「柳ヶ瀬ブルース」という全国区の歌に歌われるほどだったのですから。当時は東京からも多くの出張者がありました。その接待にも、もちろん柳ヶ瀬の夜のお店が利用されていたことでしょう。
時は過ぎ、今では当地の毛織物・アパレルは斜陽産業を通り越して壊滅に近い状態。「TPP?今さら何を騒いでいるの?」という感じ。
夜の繁華街は次々に姿を消し、日中のお買い物は、郊外にある、廃業した工場跡地にできた大きなショッピングモールやスーパーが人気で、昔からの市街地にある商店街は集客に苦労する状態。もちろん柳ヶ瀬も例外ではありません。昔の柳ヶ瀬の賑わいを知る人が懐かしがるばかり。
と聞くと、「日本中、どこにでもあるシャッター商店街の話」のようですが、まさに、規模の大きなシャッター商店街の話と考えればわかりやすいです。
では、3月31日に引退した「やなな」、とは誰か?岐阜とか愛知県でも尾張地方の人くらいにしか全くなじみがないと思いますが、いわゆる、ゆるキャラ。
「何だ、またゆるキャラで町おこしの話か。」
その通り。やななについては、まずはこちらを見てください。
http://www.troisvoix.com/yanana.htm
一般的なゆるキャラが全身を覆う着ぐるみであるのに対し、やななは、実際の女性が段ボールの頭を付けただけのチープな作り。ちなみにかかった費用は1万円とか。
そして、やななは行政でも、柳ヶ瀬商店街でもない、一民間団体が作りだした、言わば「誰にも公認されていない」キャラクター。
柳ヶ瀬は、「商店街」と言っても一本の通りではなく、300メートル四方の地区になっています。そして、この中に商店街の組合団体が2つ。さらに各団体の傘下には複数の商店組合が入っています。無論、各商店組合を構成するのは、それぞれが独立採算・一国一城の主を抱く個々の商店。
つまり、外から見ると「柳ヶ瀬」なのですが、実態として「柳ヶ瀬」としてまとまる仕組みや機運が、当事者にはなかった、ということ。テレビの報道番組で見ていたら、二つの商店街組合団体には、一緒に何かやろうという話し合いもこれまでほとんどなかったそうです。
当然、「柳ヶ瀬」全体を代表するゆるキャラを登場させるメカニズムはなかった、ということ。誰もが「柳ヶ瀬」というアイデンティティを持ちながら、アイデンティティを共有する人たちが行動を共にできる「仕組み」が欠けており、長年 「そういうもの」だと思って、あるがまま現在まで来てしまったのでしょう。
そこに登場したのがやなな。やななは、行政や商店組合などが作ったキャラクターではありませんから、当然非公認・非公式。
でも、逆に言えば非公認だから、しがらみもなく、段ボールを被るチープなスタイルで、「やってしまえ!」でやってしまえた、という面もあるのでしょう。
やななは非常にユニークなキャラクターで、他の地域の、どのゆるキャラとも違う特徴が一つあります。「着ぐるみじゃない」こととも関連しますが、何と、5年間ずっと一人の人が、やなな役を務めていたのだそうです。
つまり、やななには、人格がある。人としての個性がある。個人と個人との繋がり・コミュニケーションが生まれる。段ボール顔のやななは、一人の人としての個性ゆえに商店街の人や、商店街に来る人たちとの繋がりを5年間かけて作って きました。何しろ、一度会った人を覚えているのですから。不特定の人が中に入る着ぐるみではできない芸当。そして商店街への来客数も徐々に増えてきました。
やがて、柳ヶ瀬全体に「組合団体とかを超えて、柳ヶ瀬としてやって行こう」「やなな任せにせず、個々の商店主が柳ヶ瀬全体のためにもっと工夫して行こう」という機運が生まれてきたところで、やななは引退を決めました。
さて、話は一挙にアフリカの○○村。村としての形はあるものの、内部的には民族や性別、年齢階層などによって分断されています。もちろん農作業や販売も個々の農家が単位。外部からは一つの村に見え、村人も「自分は○○村の出身」と いう自覚はあるものの、○○村共通の利益を考え、働くメカニズムがありません。共有するアイデンティティ、アイコンもありません。
そこに国際協力でやってきた、一人の開発ワーカー。
彼・彼女の数年間のストーリーは、皆さんが考えてください。