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人の森通信2013/11/01号

コラム「水と戦った日本の歴史~木曽三川輪中とヨハネス・デ・レーケ」

by 野田さえ子 国際協力コンサルタント 、中小企業診断士

岐阜県にある木曽三川公園と「輪中の郷」

ここを社会科見学で訪問した小学校4年生の我が子。図らずも、この「水と戦ってきた地域の歴史」をまとめる宿題を持ち帰ってきたため、親子ともども四苦八苦致しました。

東海三県にゆかりのある方ならご存知かもしれません。

輪中地域は、岐阜県南部と三重県北部、愛知県西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)にあります。この3つの川がそれぞれ曲者で、その3つの川が集まる流域は海抜ゼロメートルより低く、ここで暮らす人々は水とのすさまじい闘いの歴史を持っています。

輪中とは、この流域の低湿地帯に主に米や菜種を中心とする農業を営み集落を形成して、洪水などから命を守るため、集落と農地とを含む囲堤を築き、それを管理する水防組織体を作って外水や内水を統制した治水共同体のことを指します。

生死を共にする輪中内の結束は非常に固い一方、新しい輪中が形成されるのを近隣の輪中が反対したり、上流域の輪中とは利害が激しく対立したり等、海外で水利関係のお仕事をされる方にもなじみのあるテーマがそこにもあります。

この地域では、上げ仏壇(洪水時に2階に吊り上げられる移動型仏壇)や、水害時に長期間避難生活が送れる高台に建てらえた水屋と呼ばれる建物を建設したりしながら、生活を守ってきました。

また、歴史が進むにつれ、対立関係にある輪中同士が協力関係を結び、小さな輪中がいくつか集まり共通の囲堤を築いて大きな輪中を形成したり、川の中に沈礁(ちんしょう)と 呼ばれる川の流れを緩やかにするための障害物を置いたりなど、知恵を絞りながらこれまでの暮らしを守ってきました。
http://www.waju.jp/6_shirabetemiyou.html

しかし、三川が複雑に合流・分流を繰り返す地形であることや、小領の分立する美濃国では各領主の利害が対立し、統一的な治水対策を採ることが難しかったという背景もあり、総合的な施策が必要となってきました。

現在の国際協力の世界でいうところの「ガバナンス」の問題にあたるのでしょうか。

そこで、時の政府である江戸幕府は、洪水対策の抜本的な解決策として、川の流れ自体を大きく変える工事を計画。

宝暦治水と呼ばれる大規模な治水工事は、実は江戸幕府に命じられた薩摩藩によって行われました。鹿児島からはるばるこの地へやってきた薩摩藩士は、追加派遣の人数を加えると家老以下947名にもおよんだそうです。なんと、約40万両という莫大の費用をかけ、うち22万両は、砂糖等を担保にしながら大阪商人から借金したとか。途中、赤痢などで157名が病に伏せ、うち33名が病死したという、悲しい歴史を残しています。

工事は幕府の方針変更によって計画がたびたび変更されたり、また大雨により工事のやり直し等が発生したりで、工事は困難をきわめました。1755年(宝暦5年)3月に完成。同年5月に幕府の検分を終えたのだとか。薩摩藩家老平田靱負は、莫大な費用をかけて藩に迷惑をかけたとして、切腹しました。

現在でも、薩摩藩から贈られた多くの松が、分流するため築かれた堤の上に脈々と並んでいます。現在、千本松原と呼ばれているこの当時の面影を、木曽三川公園内のタワー上空から眺めることができ、水と戦った人々の歴史に思いをはせることができます。

宝暦治水に関しては以下のサイトを参考にしてください。
http://www.tagizou.com/main/horeki/

残念ながら、この宝暦治水の後、洪水の件数は増加してしまったそうです。この時築いた堤が、下流の川底の堆積を促してしまったのが原因だとされています。

そこで、明治時代に入り、木曽三川分流工事が行われます。この時、計画・施工管理にあたったのが、治水対策の先進国であるオランダから招かれた、いわゆる当時の内務省のお雇い技師のヨハネス・デ・レーケでした。

実は、私自身、十数年前になりますが大学院時代にオランダにいた頃があり、10キロ以上も続く北の堤防に度肝を抜かれたり、日常生活のオランダ人の行動に驚いたりした経験があります。「オランダはオランダ人が作った」と深く感銘を受けましたので、ヨハネス・デ・レーケが計画・施工管理にあたったというその意味を実体験と併せてなるほどと思いました。現在でも、途上国における水害対策には、オランダの援助機関が強みを発揮しているのもうなずけます。

このような「生きた」歴史を、我が子は、今でもきちんと分流している木曽三川を学習ノートに書き写しながら、また、千本松原を実際に眺めながら学習することができたわけです。実際に社会見学先として訪れることのできる日本の子どもたちは、本当に幸せなことだと思いました。また、その宿題を手伝う親である私も、非常に勉強になりました。

弊社では、地場産業振興や中小企業振興の研修コースを受託して、世界各国の政府職員に対する研修を行っています。この地域の地場産業、例えばこの流域には弥富の金魚等が有名ですが、こうした地場産業の振興といった現代的なテーマの前に、今回ご紹介したような水と戦う輪中の歴史が前提条件として存在していることもお伝えしたいと思いました。

むしろ、途上国と呼ばれる国からの政府職員にとって、厳しい自然条件とどのように戦ってきたかというテーマも併せて学びに織り込むことによって、現代的な課題の解決策を考えるにあたって、より身近に、またより複合的に、より重層的に方向性を模索できるのではないかと考えた次第です。

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