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人の森国際協力>>アーカイブス>人の森通信2015/08/17-02号

本の紹介「学力の経済学」 中室牧子著

by 野田直人

実はまだ読み終えていない本なのですが、2つの点で興味を惹かれました。教育をテーマにする本ですが、開発協力という視点からも興味深いものがありましたので、「開発協力的解釈」から紹介したいと思います。

一つは、子どもたちを勉強させる「ご褒美」はインプットに対してあげる方が効果的、という話。

もう一つは、日本人の書く本には珍しく「エビデンス」を重視している点です。

まずは「ご褒美」から。途上国援助においてもよく「援助対象者にインセンティブ付与をすべきか否か」といった議論が行われます。具体的には、援助対象者が何かを実施するのに対して金品を提供することを「インセンティブの供与」と呼ぶ場合がほとんどです。

本書は子どもたちに対する教育がテーマですが、勉強させるための「ご褒美」は意味があるのか、意味があるとしたらどのように「ご褒美」をあげるのが良いのか、という検討をしています。

本の中の結論を紹介すると、「本を一冊読んだら○○」というような、直接行動をとることに対するご褒美は効果があるとのこと。その一方で、「成績が上がったら○○」というような結果に対するご褒美は効果がないとのこと。それが調査研究によって明らかにされているのだそうです。

多分これは国際協力の現場でも同じでしょう。地域住民に対して「XXをしたら○○」というインセンティブ設定は効果がある。一方で「△△ができたら○○」というインセンティブは効果を持たない。国際協力での研究は見たことがありませんが、経験的に「確かにそうだ」という気がします。

私の関わっているマダガスカルのプロジェクトでは、ローカルNGOを使って現場の作業を行っています。その時に、成果報酬のようなボーナスを導入しても、NGOのやる気はさほど向上しません。地域開発の仕事では、何をどれだけしたら成果が大きくなるか、というプロセスが明確ではありませんから。一方で「住民に対する研修回数が計画より多かったら」というような条件を付ければ、NGOは頑張ります。自分の努力によってボーナスを確実に得ることができるからです。

「XXをしたら○○」というインセンティブ設定をしたけど、効果はなかったぞ!

という反論ももちろんあることでしょう。それは要するにXXはしても無駄だ、というのが本当のところでしょう。

子どもの勉強は、当たり前ですが、勉強すればするほど結果に現れます。勉強しないよりも成績が上がるのは当然。だから、勉強することに対してご褒美を設定すれば、結果として成績が上がります。

国際協力の場合、援助する側が住民にさせようとすることは、実際には大して意味がないことも結構多くあります。要は援助する側の思い込み、思い入れでやらせているわけですね。そのような場合には、もちろんどんなインセンティブ設定をしても結果は向上しません。

次に「エビデンス」についてです。エビデンスは「根拠」と訳しても構わないでしょう。欧米で書かれたノウハウ本などを読んでいると、統計値や事例が非常に豊富に出てくることに気が付きます。つまり、エビデンスを重ねて自分の主張が正当であることを証明し、また、自分のアイデアを一般化しています。

一方日本で書かれた本の多くは「私はこう思う」「私の経験では」あるいは「こうあるべきだ」みたいな、筆者の限られた経験や、筆者の意見に基づいて書いていることが大半です。これでは「本当にそうなのか?」が確認できませんし、個人の特殊な体験であるのか、一般化できるような法則であるのか、それもわかりません。

つまり日本の多くの本では内容の「証明が弱い」わけですが、本書は教育関連の本と言いつつ、著者が経済学者ですから、本書のほとんどの部分で科学的な資料に基づいての主張がされています。つまり「エビデンスに基づいた」説得性の高い内容になっているわけです。

本書の著者は「教育は思い込みで語られてきた」と指摘しています。エビデンスに基づかない思い込み、英語ではよく myth という表現で呼びます。ずっと本当だとされ疑われなかったことに、実は根拠がなかった、ということがエビデンスに基づいて分析すると洗い出されます。

国際協力でも同様でしょう。私自身は myth ではなく「隠された仮説」hiddenassumptions という表現を使います。「確認していないのに事実と誤認していること」、本来は仮説として扱わなければいけない、つまりはエビデンスを使って
確認しなければいけないことを、事実と誤認しているがゆえに仮説であることが隠されてしまっている、確認されずに論理に組み込まれてしまっている、という意味です。

自分の考えていることが、エビデンスに基づいているのかどうか、今一度見直してみてください。資料を使って明確に証明できないのであれば、その考えは仮説の域を出ていない、ということに他なりません。

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